随想と雑記

障がい者福祉で、より良い社会を

 

元号が令和になるとほぼ同時に、姪が産まれました。

令和ベイビー。
初めて親戚の中で子供が生まれたので、とても嬉しかったです。
そして可愛かった。

私は、姪の母である妹に
「これから、どんどん社会は良くなっていくだろうし、令和に産まれる子は幸せだね」
そんなことを言いました。

すると妹は
「これから産まれてくる子は大変でしょ」
と言いました。

妹がどうこうという話ではありませんが
こうやって未来を悲観的に見てしまう人は多いと思う。

私たち大人は、社会を良くする目的で働いているのだと思います。
だけど、その目的を見失っている大人は多いと思います。

本来、私たち大人が良くしていくはずの未来に対して悲観的になってしまうのは
悲しいことだと思います。

今日は、そんなエピソードを通して「なぜ働くのか」ということについて書いていきたいと思います。

 

 

3人のレンガ積みの話

私が仕事をする上で、教訓としている物語があります

 

3人のレンガ積み職人がレンガを積んで教会を建てていました。

そこに1人の通行人が通りかかりました。
通行人はレンガ積み職人Aに対し
「あなたは何をしているのですか」
と問いかけました。
職人Aは
「見れば分かるだろう。レンガを積んでいるんだ」と答えました。

 

次に通行人は、レンガ積み職人Bに同じ質問をしました。
職人Bは
「レンガを積んで、教会を作っているのです」と答えました。

 

最後に通行人は、レンガ積み職人Cにも同じ質問をしました。
職人Cは
「レンガを積んで教会を作っているのです。教会ができれば、近くの住民がここでお祈りをすることができるようになります。そうすれば、この場所に住む人たちはお祈りを通して、幸せな気持ちで生活をすることがでます」
とニッコリと笑いながら答えました。

レンガ積み職人3人の中で、職人Cは一番楽しそうに働いていました。

 

働くことの本質

レンガ積み職人Cのように、自分がしている仕事が人々にどう影響を与えられるか
分かって働けたら最高だなって思います。

「働く」の語源は「傍を楽にする」ですね。
近くにいる人を楽にしてあげるのが、働くことの本質だと思います。

近くにいる人を楽にしてあげて、社会がより良くなっていくこと。

それが働くことの本質なのだと思います。

 

障がい者グループホームの意義

産まれてきた姪は、特に障害はなく、健康に産まれてきました。
でも、後天的に精神障害を持ってしまうことも、可能性としてはゼロではないですね。

そんな時に、障害があったとしても
しっかりと運営されている障がい者グループホームがあれば
安心して暮らせるより良い社会が実現できるんじゃないかなって思います。

産まれてきた子どもに
「これから社会はもっと良くなっていくよ」
って、自信を持って言える社会にするために、障がい者グループホームの仕事は必要だと思います。

 

職業に貴賎はないけれど

私は想像力というか、あまり頭が良くありません。

なので、障がいを持っている人と直接関わって、
「ありがとう」って言ってもらえる、この仕事が好きです。

「これって必要なのか?」って疑問を抱いてしまうような、自分で納得できない物を売る仕事は、合わないと思います。

これは仕事だって割り切って、その仕事を続けて定年迎えるは、なんだか虚しいです。

もちろん、それは誰かにとって必要な物なのかもしれません。
だけど、ブランド力で本来的な価値以上の価格のついた物を
営業力で売り捌くような仕事とかは、自分には合わないと思っています。

たとえ給料が良かったとしても、それを続けるのはキツイと思います、、

職業に貴賎はないけれど
私は障がい者グループホームの仕事が好きだなって、自信を持って言えます。

 

大人たちの役割

 

可愛い可愛い姪が産まれました。
きっとこの瞬間にも、世界のあちらこちらで、新しい命が誕生しているのだと思います。

そんな子たちが、より良い社会で生きていくことが出来ますように。

より良い社会を作るのは、私たち大人の役目ですね。

自分の仕事を通して、より良い社会を作っていくことに貢献していくこと。
それこそ「働く」ということなのだと思います。

そして何よりも働くことを通して
自分が幸せになれたら、それはとても幸せなことなんじゃないかなって思います。

私はこれからも社会を良くするために働きたいし
そして、障がい者グループホームの仕事は、自分を幸せにしてくれるものだと思っています。

これからもたくさん働きます(´∀`)