支援について

曖昧なことの多い福祉の世界で大切なこと

 

いきなりですが、言葉っていいですよね

誰かに思いを伝えられるし

使いようによっては美しいし

こうやってブログを更新出来るのも、言葉のお陰さまですね

 

だけど、言葉って物事を区切りますよね

「大人」は大人でしかないし
「子ども」は子どもでしかない

「夜」と「朝」の境界線が曖昧なように
「大人」と「子ども」の境界線も曖昧なのだと思います

私自身、もう30歳も目前ですが
「大人になったな」と実感することもあれば
「まだまだ子どもだなぁ」と内省することもあります

何かを定義するためには、どうしたって言葉が必要だけど
単語と単語の間にはグラデーションがありますね

 

だけど、普段の生活の中で
そういったグラデーションをいちいち意識するのは、難しいことですね

難しい

確かに難しいのです

だけど
言葉の意味をそのまま受け取り続けると

「障がい者」は「障がい者」のまま
「健常者」と「障がい者」の言葉の間には、明確な区切りが生まれてしまうと思うのです

そして、明確に区切られたその先に
下記のような悲しい住民反対運動が起きてしまうのだと、私は考えます

福祉施設への住民反対運動 私たちにできること障がい者グループホームの開設時、住民反対運動が起こることがあるそうです 悲しいですね 私自身、障害の有無に関わらず 「地域...

言葉は明確に意味を区切るし
その使い方は難しいと日々、感じさせられます

本来であれば、曖昧なことの多いこの世の中で
明確に意味を区切る言葉と向き合うのは、難しいものです

「言葉」と「曖昧」さ
今回は、それらをテーマに書いていきたいと思います。

 

 

「体調が悪い」という言葉

 

グループホームに入居する利用者さんから
「体調が悪い」
という訴えは良くあります

だけど
どこかが痛いのか
体温や血圧が異常値なのか
調べてみても、特に原因が見つからないことは多いです

なので、本当の意味で身体的な不調があるわけでは、ないのだと思います

 

実は、精神的に寂しかったり
単純に疲れが溜まっていたり
季節の変わり目で気分が安定しなかったり

 

そういった理由で「体調が悪い」という言葉を発しているだけな時も
現場の感覚としては多いです。

なので
「体調が悪い」という言葉は、非常に曖昧だなって思います

きっと利用者さんも「体調が悪い」以外の言葉を探しているのだろうけど
見つけられなくて、もどかしい気持ちなのだと思います

言葉ってものがあるから、自分の感覚にぴったりな言葉を探してしまうけど
言葉では言い表せない曖昧なことが、たくさんあるのだと感じます

 

「出来ること」と「出来ないこと」

 

利用者さんが、昨日まで「出来ていた」ことが
今日「出来ないこと」に変わってしまうこともあります

「出来ること」と「出来ないこと」も非常に曖昧ですね

 

曖昧なことに対峙するのは、支援する側としては凄くジレンマですね

 

どこまで手を差し伸べていいのか
少し無理矢理にでも、やってもらった方がいいのか
甘えてるだけなのでは?って勘繰ってしまったり

 

「出来ること」と「出来ないこと」の曖昧さに苦しめられる

それも仕事のうちだって割り切っても
やっぱり、それで考えすぎて、疲れてしまう時はありますね

 

「徘徊」は本当に「徘徊」なのか

 

介護の話になりますが

「徘徊」という言葉も、実は非常に曖昧なんじゃないかなって思うのです

病院に勤めていた時は
せん妄などで、病棟中を歩き回ってしまう患者さんがいました

その人と会話してみると
「バス停を探してるんだけど、見つからないんだよね」
と話していたのが、印象的でした

 

 

正解がないからこそ、必要なこと

 

病棟を歩き回っていた人は
「徘徊」していたのではなく
「バス停を探していた」のですね

介護の現場は忙しくって
夜勤で眠い中、働いてるのは百も承知です

だけど「徘徊」を「徘徊」という言葉で定義せずに
曖昧さを受け入れながら、その人が歩き回る理由を、一緒に探っていけたら良いんじゃないかなって思います

 

正解のない、福祉の現場

言葉で定義できない曖昧さを受けれるからこそ、良いケアが出来ることもあると思います

 

では、どうすれば曖昧さを受け入れられるようになるのか
あくまで個人的な経験則ですが、そこに必要な考え方があるのだと思います

それは

「まぁ、いいか」

そんな言葉で、曖昧さを愛せるような
いい意味での図太さも必要なんじゃないかなって思うのです

 

もちろん、何でも適当にやっていい訳じゃないけど
正解を求め過ぎてピリピリしてはいけますね

それこそ、施設にいる利用者さんに悪影響です

「まぁ、いいか」

という心の余裕を持って、福祉の仕事が出来たら、支援者にとっても利用者にとっても
幸せなことだと思います

 

時にはありのままを受け入れる

 

正解とか言葉の定義は
ただ自分よりも少しだけ先に生まれた人が作った、人工的なものでしかないわけですね

その人工的なものに馴染めない人も、たくさんいることでしょう

そういう人に手を差し伸べるということこそ
福祉という仕事がこの世界に存在する意義だと思います

 

時には、頭を柔らかくして
支援対象者の「ありのまま」を受け入れるのも必要ですね

「そのままでいいよ」のやさしさ 私は昔から集団行動が苦手なんですよね。運動会とか、合唱コンクールとか、そういったイベントが苦手でした。それは今も変わりません。 ...

人の命を預かっている、責任ある仕事なので
なんでもかんでも適当ではいけないかもしれないけど

正解や言葉の定義にとらわれず、曖昧なことを曖昧なまま受け入れられる
いい意味での図太さを持ち合わせていたいなって思います

 

そして、これからも福祉の仕事を楽しんでいきたいです