『「助けて」が言えないのは、どう助けて欲しいか分からないから』
という言葉を見かけた。
確か、自傷行為を繰り返す人との関わ方についての本の中に、そんな言葉があったような
自分で自分を傷つける生き物なんて、人間くらいなものなのだろう
「痛い」と感じること
そんなことしてほしくない
何度もそう伝えても、なかなか止まらない自傷行為に悩まされたことは何度もありました
そんな自傷行為について、今回は書いていきたいと思います
色んな自傷行為を見てきた
自傷行為と一言で言っても
構って欲しかったり、見捨てられ不安が強くてアピール的に、手首に浅い傷を作るような自傷行為もあったし
重めの知的障害の子が、掌底で何度も頭を叩くような、見るに耐えない自傷行為もあったし
薬の過量服薬のような、一歩間違えば死んでしまうような広い意味での自傷行為も見てきた
アピール的だったり
自己懲罰的だったり
生きていることが辛くて自分を死に追いやるような自殺行為に近い自傷行為だったり
どんな動機であれ、自分で自分を傷つけちゃう人を見るのは、辛いことです
そんな自傷行為、確かに「どう助けて欲しいか」自分で分かることが出来れば、ある程度防ぐことはできるのだと思う
どう助けて欲しいか、分からない理由
「助けて」って言えないのは
生育歴が恵まれておらず、両親やその他の大人に、助けてもらうといった成功体験が、少ないのかもしれない
そんな環境の中で、自分の感情を抑圧して、自分の気持ちに向き合うことが、少ないことも原因かもしれない
知的障害がある人は、そもそも自分の気持ちを言葉にするということが、難しいのかもしれないし
どう助けて欲しいか、分からない理由は様々だと思う
自分の気持ちなんて、皆よく分かってない
だけど、具体的にどう助けて欲しいかを言語化できる人なんて、実はそんなにいないと思う。
健全に育ってきた人だって、自分の気持ちを素直に表現出来るわけじゃないと思う
そして、そもそもの前提として、「どう助けて欲しいか」の前に
何に対して不安とか恐怖を感じているか、それ自体も分からないことってたくさんあるなって思う。
そんな時に「どう助けて欲しいか」を無理に言語化させることに、あまり意味はないと思った
だけど、1人じゃない
先日、コロナに感染した際に、たくさんの人に助けていただいた
病院に連れて行ってくれたり
食料を届けてくれたり
お見舞いのメッセージを個人的に送ってくれたり
具体的に助けてくれたこともたくさんあったけど
何よりも心の支えになったのは「1人じゃないんだなぁ」って思えたことだった
この「1人じゃない」って感覚は本当に大切だなって思う
柔らかくて、暖かくて
隔離期間だったから、実際に人と会っていた訳じゃないけれど
「1人じゃない」って感覚に、何度も助けられた
何が自分を苦しめる原因なのか
どう助けて欲しいのか
言語化するのは難しいかもしれないけど
「1人じゃない」って感覚を持てるだけで、救われることはたくさんあると思う
どう助けて欲しいのか、分からないかもしれないけれど
どう助けて欲しいのか、分からないかもしれないし
どうして分からないのか、その理由すら分からなくて、思い悩むことはあるかもしれない
孤独だったり、孤立した感覚だったり
生きていれば、それらのことに心が侵されそうになる時はたくさんあるでしょう
そして自分で自分を傷つけたくなる時もあるかもしれない
だけど世の中、捨てたもんじゃなくて
人の繋がりに溢れているから
その人との繋がりを感じて
「1人じゃない」って感覚を持てることが、大切なんじゃないかなって思うのです
どう助けて欲しいのか、分からないかもしれないけれど
あなたは1人じゃないですよ
自分も世の中の住人として
「1人じゃないよ」をたくさん作っていけたらいいなって思う
福祉という仕事を通して、実現していきます(´∀`)