いつか誰かが、自分を変えてくれると思っていた
いつか誰かが、自分の理想を叶えてくれると思っていた
いつか、何か幸運に見舞われるのかと思っていた
だけど、何も変わらなかった
気がついたら、普通の大人になっていた
初めまして!
私は、障がい者グループホームという、福祉施設の運営に携わっている、20代の男性です。
現在は名古屋のグループホーム「たろちゃんち」の運営に携わらせていただいてます。
https://nagoya-kamogashira.com
1年後に独立してグループホームを運営したいと思い、日々たくさんのことを学んでいます。
自分の気持ちを言語化して固めていくために、ブログを始めました。
これが初投稿。
元々は精神科の病院で看護師として働いていた私が、なぜ、今グループホームで働いているのか、少し紹介させてください。
・看護師になった理由
・精神科の病院で働き始めた
・「普通の大人」は目の前の悲劇に目を背ける
・分からないから、捨てまくった
・転職「普通の大人」はもうやめた
・久しぶりに感じたやりがい
・だけど、経営者と考え合わなくて退職
・本当は経営者に嫉妬していた
・綺麗なのは、映画や小説の中だけ
・舞台は現実
・現実の舞台で自分にできること
・東京から名古屋へ
看護師になった理由
自分はどこにでもいるような、田舎の進学校に通う、普通の高校生でした。
東日本大震災が起きたのは、高校2年生の時
2011年3月11日 14時46分
栃木に住んでいてたので、かなり強い揺れを感じた。
このまま学校が崩壊して、死ぬんじゃないかなって思わせるほどの、強い揺れだった。
だけど幸い、家族は全員無事だったし、数日間インフラが供給されなかったくらいで、特に受けた被害はなかった。
だけどその当時は、流れてくる情報が多くって、将来が不安になって、自分が何をしたいのか、全く分からなくなってしまった。
今思えば、自分というものがなかったのだと思う。
進学校に通っていたし、どこかの会社に就職する勇気もなかった。
だから、とりあえず安定した職業に就こうと思って、看護師の資格が取れる大学に進学した。
安定が第一目的の、つまらない高校生だった。
「面白くない人生だな」って思ったけど「誰だってそんなもんだよな」って自分を納得させた
大学の勉強にはあんまり身が入らなかった
自分のやりたいことではなかったし、頑張っても看護師になるという結果は変わらないのなら、必要以上に頑張る理由が見つからなかった。
精神科の病院で働き始めた
そんな看護学生時代だったけど、精神科病院に実習に行った時
どこか惹かれるものがあった
なんで、精神科に惹かれたのか
きっと精神科の患者さんに対して「普通じゃない人」ってレッテルを貼りたがる社会に、憤りを感じたからだと思う
そんな偏見を、少しでも無くせる世の中にしたいなって思った
勉強していくと、日本には年間で3万人もの人が自殺していることを知った
自殺した人の多くが、実は精神的な病気を抱えている、ということも知った
自分の力で、そんな世の中を変えられたらいいな
そんな志を持って、精神科の病院に就職した
「普通の大人」は目の前の悲劇に目を背ける
精神科の病院で働き始めた。
給料はそれなりに良かったから
食べるのに困ったことはないし
色んな場所に旅行に行くこともできた
お金が貯まったので高い家電を買ってみたりした
ちょっといいお酒を飲んでみたりした
最初に持っていた志とか、そういうのは段々となくなっていって
決められたシフト通りに、ただ出勤を繰り返す「普通の大人」になっていった
だけど、その横目には
精神科の病院から、なかなか地域に帰れない患者さんがいた
身寄りがないと、受け入れてくれる場所がないから
まだまだ障害に対する偏見があることを目の当たりにした
そういうのって良くないなって思った
だけど自分はどんな行動をすればいいか分からなかったから
「もっと世の中寛容になったらいいですね」とか言ったりしてみた
それっぽい勉強会に参加してみたり
それっぽい本を読んでみたりした
最初はそれで、何かが変わるのかなって思ってたけど
自分の力で変えられることなんて、何もなかった
何もできない自分に目を背けたかったから
もらった給料で、ブランド的なものを買ったり
予定が空かないように旅行をたくさんしてみたりした
どれも楽しかったし、学びにもなった
だけど、やっぱり何も変えられなかった
その現実がとても虚しかった
分からないから、捨てまくった
よく分からなくなったから
とりあえず色んなものを捨て始めた
集めてた地方のお土産とか
本とか
SNSのアカウントとか
全部捨ててみた。LINEすら1回やめた。
誰とも連絡を取らなくなった。
食べるのすらめんどくさくなって、5キロくらい痩せた
今思えば、軽い鬱病だったのだと思う。
精神科に入院している患者さんにも心配される始末だった、、笑
たくさんの物を捨てた
目に見えるモノも、目に見えないモノも
それでも何も変わらない、変えられない
モヤモヤは消えないまま、仕事には決められた通りに行っていた
本当は行きたくなかったけど
「普通の大人」だから、ちゃんと仕事に行った
そうすると、やっぱりお金が貯まった
すでに物欲はなかったから、奨学金400万円を繰上げ返済した
そしたら「あ、これで今死んだとしても、誰にも迷惑かけないわ」ってなった
奨学金という義務すら捨てた
本当にゼロになった
持っているモノはスマホと服くらいだった
もっと、何かしら残るんじゃないかなって思ったけど、マジで何も残らなかった
虚しいくらいにゼロだった
転職 「普通の大人」はもうやめた
生きる理由が見つからなかったから
転職してみるか、と思って転職した
周りからは、「もったいないよ」って言われた
病院はそれなりに給料が良かったから
そんな言葉に少しは躊躇もしたけれど
だけど、このまま働く理由も生きる理由もなく
「普通の大人」やるのは無理だった
初心に戻って
「精神障害を持っている人が帰れる場所を作ろう」と思って
まさしく障がい者の生活を支える
「障がい者グループホーム」を運営する会社に転職した
言葉だけは高邁な思いが
果たして本当のものなのか、試してみたかったんだと思う
久しぶりに感じたやりがい
転職のタイミングで開所する東京のグループホームで働き始めた
そうすると、精神科界隈では有名な病院から、患者さんの帰り先として相談されることがあった
入院が長期化して、早く退院したいっていう方にも何人も会った
そういった案件に1つずつ向き合っていくのは、とてもやりがいを感じられることだった
自分がやりたいことが出来ているなって感覚を持つことが出来て
少なくとも「生きる理由ってなんだろう」みたいな、考えても仕方ないことで悩むことはなくなった
だけど、経営者の考えと合わなくて退職
転職先で、もっと頑張ることもできたけど
運営の面での考え方が経営者と合わないこともあり、1年で辞めてしまった
経営で利益を出すことの重要性は分かるんだけど
利益を優先しすぎなんじゃないかって思う経営者の言動が多く
悩むくらいなら辞めちゃおうって思って辞めた
今時、転職するのは当たり前だし
その方が色んなスキルも身につくから、悪いことではないんだろうけど
だけど、あまりいい辞め方ではなかったから
経営者にも、何よりもグループホームに入居していた利用者さんにも、申し訳なかった
本当は経営者に嫉妬していた
経営者とは考え方が合わなかったけど
経営者が羨ましかったってのは、正直なところだ
「精神障がいを抱える人が帰れる場所を作る」という
私がずっとやりたいと思っていたことを、そのまま実現していたから
精神科の病院で働いていた時
「もっと精神疾患を持っている人が生きやすい世の中を!」
「長期入院させずに、地域で治療が出来るように!!」
って高い理想を掲げている同僚はたくさんいた
自分もその1人だった
だけど、その理想だけじゃ、先にも書いた通り
何かを変えることは出来なかった
東京のグループホームの経営者は、少なくとも行動していた
確かに考え方は合わなかったかもしれないけど
グループホームのための不動産だって、頑張って見つけてきたんだろう
開業のためのお金も、自腹で払っていた
ちゃんと何かを変えるだけの「力」を持っていた
お金や権力は、力なのだと思う
力があれば、良い方向にも悪い方向にも変えることができるのだと思う
お金や権力には悪いイメージも付きまとうけど
何かを変えたいと思うなら、お金や権力がどうしたって必要なんだ
お金も権力も、それらは何かを変えるためには、必要なものだ
現実は厳しく、高邁な理想なんて、持っているだけじゃ何の意味もなさない
福祉の世界だって、資本主義の元で成り立っているんだ
その現実に目を向けずに
変わらない現状に嘆くだけなら
それは自分が弱い証拠だ
世の中、結局金とか、そういうことは言いたくないけど
お金がなければ何も変えることはできない
それが現実なんだ
綺麗なのは、映画や小説の中だけ
「むかしMattoの町があった」という映画がある
イタリアの「トリエステ」という場所で、精神科の医師をしていたバザーリアのドキュメンタリー映画だ
かつて、イタリアの精神科病院も長期入院や、病院内での治療に人権的な問題があった
それはおかしいと言って、患者の生活の場を地域に帰していったのが、バザーリア医師だ
バザーリアの行動力と患者さんを思う気持ちにすごく感銘を受けた
未だにトリエステには精神科の病院は無く、どうしても病状が安定しない人が
短期の入院をするだけの施設のみあるらしい
バザーリア法という法律でそう決められているというから
バザーリアが残した功績には、精神医療に携わる1人の人間として、尊敬の念が尽きない
そんなイタリアに対して
とても素晴らしい!日本も見習おう!
と、そんな記事を精神科関連の雑誌で見かけたりする
じゃあ、トリエステで精神障がいを抱える人が住む場所はどこかというと
どうやら教会に住むケースが多いらしい
教会が障がいのある人を受け入れると、補助金が降りるらしい
だから、教会は障がいがある人を積極的に受け入れているのだとか
教会のシスターはほとんど商売人のようなのだと、現地に取材に行った人がこっそり教えてくれた
みんな、補助金目当てに、障害のある人を受け入れたがっているのだとか
バザーリアは、確かにすごい
だけどバザーリアが変えた社会が継続しているのは、結局お金の力だ
結果として、精神科の長期入院が防げているのなら
その補助金のシステム自体は、社会とか精神障害を持っている人のためになっているのだろう
だけど、やっぱりお金が、世の中を変えていくのだと思う
その現実は、日本だろうがイタリアだろうが、変わらないんだ
舞台は現実
資本主義社会では、お金が世の中を変えていく
それが現実
実際、経済的に困窮しているイタリアの南部では、補助金が出せずに
今でも精神科の長期入院はよくある話らしい
結局、バザーリア法が機能するのは、イタリア北部の観光業とかが盛んで経済的にも潤っている地域に限定されているらしい
それが現実だ
それを聞いて、ショックを受けるほど
さすがに私も青くない
現実はそんなもんなんだ
お金とか力がなくては何も変えられない
その事実が淡々と、どの時代、どこの国に行っても同じだという
ただそれだけのこと
何かを変えたいなら、まずは現実を受け入れることだ
現実の舞台で自分にできることを
私は、政治家でも革命家でも活動家でもない
ただの、福祉の仕事に関わる1人の人間だ。
だから、現状のルールや制度の中で、やれることをやっていくしか、自分の理想を叶えることはできない
資本主義・自由経済・民主主義・法治国家
まずはそのルールや制度をしっかり受け入れる
現実を受け入れた上で、自分にできることをする
もう30歳も目前だ。青臭いことは言えない。
変わらない現状に嘆いて、誰かに責任を押し付けているうちは楽だ
他責で生きていれば楽だし、それに甘んじることだってできる
だけど、それに甘んじずに生きたい気持ちは、ある
なぜかは分からないけど、自分の心の中で熱くなるものが、ある
ルールや制度といった、大きいことは変えられないけど
せめて自分の行動くらいは変えられるはずだ
お金はないけれど、せめて自分にできる行動をしよう
東京から名古屋へ
幸いなことに、着いていきたいと思えるグループホームの経営者に出会えた
ここで働きたいって思って、一念発起で名古屋に引っ越した
荷物はスーツケース1つ分しかなかったから
名古屋までの交通費=引っ越し費用だった
マジで何もない
物欲はないし、食もこだわらないし、ブランドなんて本当に興味がない
何にも縛られずに、ここで学ぼう
まだまだゼロだ
そして「力」を蓄えて、自分も1年後にグループホームを建てよう
時には弱い自分が出てしまうこともあるだろうし
矛盾した思いに囚われることもあるかも知れない
何もない自分だけど、出会いに恵まれる運だけは持っているみたいだ
きっと、うん。
頑張れると思う!
まさか自分が愛知県民になるなんて思ってもみなかった!
だけどそれは自分で選んだことだ!
だから、言い訳せずに頑張ろう!
よろしくお願いします!名古屋!
たくさんの素敵な出会いと学びを作っていきます(^ ^)