障がい者グループホームの開設時、住民反対運動が起こることがあるそうです
悲しいですね
私自身、障害の有無に関わらず
「地域でその人らしく生きていける世の中にしたい
」
そんな気持ちで、障がい者グループホームの運営に携わっています
なので、こういった話を聞くと、心が痛みます
今回は、どうしてそのようなことが起こってしまうのか
そして、私たち福祉に携わる人間が出来ることは何なのか、探っていきたいともいます
実際に起こってしまった 住民反対運動
2019年5月24日の日本経済新聞の記事です
モアナケアという会社がグループホームを立ち上げようとした際に
激しい住民運動が繰り広げられたことが書かれています
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45233760U9A520C1CC1000/
「子供の安全を守れ」など、声高らかに叫び
のぼりや看板まで掲げられたそうです
拡声器で反対の声を上げる人もいたのだとか
「不動産価値が下がる」と懸念する住民もいたとのこと
どこまでも自分のことしか考えられない大人がいるんですね
そのグループホームに入居する方の気持ちなんて、全く考えていないのでしょう
非常に悲しいことです
これが、ひと昔前の話というなら、まだ分かります
しかし、これは2019年の話です
日本でオリンピック・パラリンピックが開かれる前の年の話です
(実際にはコロナの影響で、2021年に開かれましたが)
「共生社会」や「多様性」という言葉が出てきてから、久しいですが
まだまだ、その言葉が実社会には馴染んでないようですね
非常に悲しいことですが
私たち福祉に関わる人間が
「そんな偏見を持つのはおかしい!」
と反発したところで
それは良い解決策にはならないですね
まずは、なぜ、住民反対運動のような排外的な偏見が起こるのか
それを考察していきたいと思います
そして、それを踏まえた上で、私たちには何ができるのか
深掘りしていきたいと思います
ステレオタイプ
反対運動を起こす人は
「障がい者=危険」
そんな固定観念が形成されてしまっているようです
この固定観念のことをステレオタイプと言ったりします
私は血液型で性格が偏るなんて全く思っていません
しかし
「A型=几帳面」など
、そういった話はよく聞きますね
その人の属性や所属する組織に対してレッテルを貼って
性格や特性にステレオタイプを持ってしまうのが、人間という生き物のようです
厄介なのは、ステレオタイプは一度形成されると、修正するのは難しいということです
そして「自分はステレオタイプを持っている」と自覚するのも難しいのです
確証バイアス
確証バイアスというものがあります
例えば
「Aさんは、私のことを嫌っている」と一度思い込むと
Aさんのそっけない態度が異常に目につくものです
実際には、Aさんに優しくしてくれる時があったとしても
「そっけない態度をとられる」という情報ばかりを集めてしまい
「嫌われている」という確証を強くしてしまう
こういったことは、日常生活でもよくあることだと思います
私は元々精神科で働いてましたが
精神科で働いていることを伝えると
「病棟って鉄格子に囲まれているの?」
「暴れる患者を抑えるのって大変じゃない?」
「精神がおかしくなって、犯罪した人っていないの?」
など、よく聞かれました
まさしく
精神科病院=留置所
といった確証を得るような、偏った情報のみを集めて、思い込みを強化しているように思うのです
今時、街を歩いていればメンタルクリニックはそこら中にありますし
メディアでの発信も、的確な発信が増えていると思います
だけど、一度
精神科病院=留置所
と言ったイメージがついてしまうと、そのイメージを確証する情報を集めてしまうのですね
私自身の経験としても、よく感じていました
固定観念は悪。先入観は罪。
野村監督の言葉ですが、本当にそう思います。
ですが、残念ながら、確証バイアスというものが人間にあるからこそ
モアナケアの住民反対運動のようなことが起きてしまうのだと思います
この確証バイアスも、ステレオタイプに並んで、なかなか厄介ですね
では、どのような対策を 私たちにできるのか、少し考えてみたいと思います
殻に閉じこもらず、情報発信する
情報発信は大切ですね
グループホームで働けば気付くことですが
「障がい者」と言っても
人よって個性は本当に千差万別です
踊るのが好きな人
手先が器用な人
能力の制限はありながらも、毎日作業所に通って頑張っている人
精神的に弱いところがあり、社会が怖くて、自室にこもりがちな人もいます
だけど、弱くて繊細だからこそ、普通の人には気付けないことに気付る人
グループホームに住む障がい者の方々が
健常者と同じように個性があるということ
決して、危険ではないということを
情報発信をして
福祉に携わらない人にも、知ってもらうことが大切だと思います
実際にグループホームで働いていると
利用者さんのことを
「障がい者」だということを忘れるほどです
「障害がある」ということはその人にとっての1つの側面でしかありません
そういったこと、もっと色んな人に知ってもらいたいなって思います
私もこうやってブログ書いたりして、情報発信を少しでもしていければいいなって思います
ジャムの瓶
学生の頃、オーストラリアの差別防止のための教育に関する記事を読みました
生徒の前に、ジャムの瓶が用意されます。
その瓶のラベルには、例えば「オレンジ」と書かれているとします。
教員の指示に従って、生徒が「オレンジ」と書かれた瓶の蓋を開けます。
生徒が瓶の中を確認すると「ブルーベリー」のジャムが入っていました。
その後、ラベルに書かれていた事と、実際の中身が違っていることを生徒にフィードバックするのだそうです。
まさしく、ステレオタイプで表面的に物事を見ずに
真の中身を見ることの大切さを学べる授業ですね。
素敵な授業だと思い、今でも記憶に残っています。
オーストラリアは、先住民への差別への反省として
差別防止の教育が進んでいる様です。
繰り返しになりますが「障がい者」と言っても
踊るのが好きな人
手先が器用な人
能力の制限はありながらも、毎日作業所に通って頑張っている人
精神的に弱いところがあり、社会が怖くて、自室にこもりがちな人もいます
だけど、弱くて繊細だからこそ、普通の人には気付けないことに気付る人
様々な人がいます。
「障がい者」というラベルにとらわれず
その人の中身を見られる世の中になったら、とっても素敵だと思います
トラブル発生時の対処方法を決めておく
差別をしてはいけませんが
近隣の人に迷惑をかけてしまうことがあるのも、また事実です
。
私が以前、勤めていたグループホームでは
衝動的に窓から丸めたティッシュを捨ててしまう利用者の方がいました。
隣の家の敷地にティッシュが入ってしまい、何度も誤りに行きました。
綺麗ごとばかりではありません
幸いなことに、隣の住民の方は、福祉に理解のある方だったので
大きなトラブルに発展することはありませんでした。
しかし、迷惑をかけたことは事実
トラブルというものは起きるもの
その可能性に目を背けているようでは、グループホームは運営できませんね
モアナケアのグループホーム開設に反対している人の中には
「夜に奇声をあげるようなことはないのか」
ということを心配している人もいたようです。
「障がい者=夜に奇声をあげる」という思い込みをしてしまうのは
良くないことだと思います
しかし、
その可能性が絶対にないとは言えません
そういったことを未然に防ぐために、利用者さんの環境調整に気を配ったり
万が一、そういうことが起きてしまった時の対処法など
運営に携わる人は考えておかないといけないと思います
私たちもグループホームを建てる権利だけを叫んで
問題が起こった時の対処方法を検討しないのでは
それは責任放棄になってしまいます
そういった義務はグループホームを運営する側にはあること
自戒を込めて受け入れたいなって思います
「共生社会」と言えば聞こえは良いですが、実際には意見が対立することはあります
理解を得られないこともあるでしょう
だけど、障がいがあっても地域で暮らしていける社会は絶対に必要だと思います
そんな社会を実現するために
福祉に携わる人間として、できることをしていこうと、思います