使わない物をたくさん持っていた
部屋は物で溢れかえっていた、、
という程ではないけど、1人暮らしの割には物が多かった
それらが自分にとって必要だと思っていた
だけど、見栄だけのために買ったものは、大切にされずに埃をかぶっていた
つまり、大して必要な物ではなかった
給料が振り込まれれば、要らない物が増え
それで自分の心を満たす生活
だけど、段々とそれが虚しくなってきた
元々私は、精神科病院で看護師として働いていました
最初は楽しかったけど、やはり病院ということで
書類の仕事が多かったり
先輩のご機嫌取ったり
そんな、あまり好きではない仕事が多くなっていった
だけど、決められた日に仕事に行っていれば、給料は口座に払い込まれた
好きな仕事じゃないから、手を抜くことも覚えたのに
それでも毎月、当たり前のように振り込まれる給料に疑問を持ち始めた
そして、それで必要のない物を買っている自分が、なんだか馬鹿らしくなった
自分が嫌になって、手当たり次第、物を捨てまくった
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そして現在、私が持っている物は
スーツケースとリュックに入る分の荷物と、段ボール1つ分の寝具があるだけです
寝具は2000円の配送料があれば全国どこにでも運べるので、交通費+2000円で、どこにでも引っ越せます
物を減らす過程で、考え方も大きく変わっていきました
物を減らした今、毎日たくさんの幸せを感じられています
この幸せは、逃したくないなって思います。
逃さないために、これまでの経緯を言葉にして教訓にしたいと思います
今回は長くなってしまったので、お時間に余裕がある時にでも、読んでみてください(^ ^)
または、大雑把に読み飛ばしてくれてもありがたいですm(_ _)m
・休むための部屋で、全く休めなかった
・弱い自分に直面した
・自分は何者でもなかった
・何者にもなれないけれど、どうしたって、生きている
・何もない自分に、小さな1を足していく
・モノを減らして、足るを知る
・これから、手に入れていきたいモノ
休むための部屋で、全く休めなかった
始まりは、自分の部屋が好きではないことに気付いたからだった
元々、注意が散りやすかった
だから、部屋に必要ない物があると、注意が散漫になって
部屋でゆっくり休むことが出来なくなっていた
夜眠る時も、ゴチャゴチャした小物が気になったし
家に帰ってからも、物が多いと、物の管理に時間を取られて、やることも増えた
仕事とプライベートの境界線が付けられなくなった
職場でイライラして、家に帰っても休めない
お金の使い方が雑になった
気を紛らわすために物を買ったり、お酒を飲んで誤魔化していた
SNSを見る頻度も多かった
他人の、あまり有益ではない情報にいちいち一喜一憂していた
眠る直前までスマホいじっていた
そして、睡眠の質も落ちていった
思い返すと、あの時は体調もあまり良くなかった
お酒とかSNSの情報とか、そういうのに酔っていた時は良かった
だけど、ふと正気になると、それが段々と虚しくなってきた
「自分が嫌いだな」
そんなことを思った
自分が嫌いだったから
何かを始めてみようと思った(資格の勉強とか趣味とか)
だけど、センスはないし、そもそも自分の好きなことではなかったから
全然続かなかった
何かを始める度に、物は増えた
それで気を紛らわすことは、もちろん出来ずに
むしろ続けられない自分がさらに嫌いになった
だから、まずは自分の出来ることから始めようと思って、物を捨て始めた
最初は抵抗があったけど、とりあえず捨ててみた
特に思い入れがなく、もう着ない服から少しずつ減らしていった
大してオシャレが好きな訳じゃないのに、無駄に持っていた洋服たち
好きでもないのに、なんでこんなにお金使っていたのだろうと
情けなくなった
弱い自分に直面した
たくさんの物に囲まれて、それで意識を散らしていた
その時は、自分の弱いところは見ないで済んだ
だけど、物を減らすと意識を散らすことが出来ず、自分の弱さに直面させられた
人間、どうしたって目につくのは、自分の弱くて嫌いなところだ。
キツかった
嫌いな自分が、あまりにも多かったから
特に、見栄で買っていた物の多さに気がついた時は、最悪だった
気にしているのは、他人のことばかりだった
物だけ増えて、やりがいのある仕事も出来ずに
他人の目ばかり気にしていた
本当の意味で自分を満たすことが出来ていなかった
自分が満たされていないから
実際の自分よりも、良く見られたい気持ちだけが肥大した
見栄を張るための嘘をついた
自分を誇張した
だけど本当は、他人よりも秀でた能力なんてなかった
他人よりも劣っている自分を認めるのが嫌だった
だから、輝いている人に嫉妬した
優越感
自己拡張欲求
虚栄心
自己顕示欲
承認欲求
劣等感
嫉妬心
そんな、しょうもない煩悩に支配された毎日だった
何かを変えるのは辛かった
だけど、これ以上、自分を誤魔化して生きるのは嫌だった
だから、何度も自問自答を繰り返し、物を捨てていった
要らない物ばかりだった
見栄のために持っているものがたくさんだった
ブランドのものとか(もちろん、そんな大したブランドではないけど)
それらをリサイクルショップに持っていっても大した値段にならなかった
本当に何のために生きているのか、分からなくなった
自分は何者でもなかった
物を減らして気がついたこと
それは
「自分は何者でもない」
ということ
自分には才能とか、まだ埋もれている能力があるんじゃないかと思っていた
だけど、何もなかった
自分を大きく見せたくて仕方なかった
大きく見せるために、嘘を繰り返した
その嘘の1つが、持っている物で自分を拡張することだった
だけど、その嘘を剥がした時
びっくりするほど何もなかった
ゼロだった
他人に良く見られたかった
見栄を張るための嘘をついた
自分を誇張した
だけど自分は、何者でもなかった
ただの、何も出来ない自分だった
何者にもなれないけれど、どうしたって、生きている
激しい頭痛のような症状
嫌いな自分を見つめるのが嫌だったから
目を開けているのが怖かった
どうやったって、自分から逃れることはできなかった
だから、思いっきり目を閉じてみた
考えないように、お酒をたくさん飲んでみたりした
現実なんて見たくなかった
その現実の中には、もれなく自分が存在してるから
だけど、生きていた、辛かった
かと言って、死ぬのはもっと辛いと思った
生きているのならば、何かやり残したことがあるはずだと思った
だけど、何をやれば良いのかも分からず、苦しみから逃れることは出来なかった
何者にもなれなかった
だけど、それでも生きていた
呼吸は続いていたし、心臓も動いていた
どうせ、生きていた
どうせ、生きているならば
とことんもがいてやろうと思った
何者でもない自分を、とことん生きていやろうと思った
何もない自分に、小さな1を足していく
まずは、何者でもない自分を認めることから始めようと思った
その当時やっていたSNSは、明らかに何者かになろうとしていたから、止めた
ブランドを気にして買った物も、全部手放した
最初はもちろん辛かった
だけど
「何者かになりたい」という執着がなくなってきて
段々と楽になってきた
というか、吹っ切れた
見ないようにしてきた嫌なことにも向き合えるようになって
まずは奨学金を一括で返済した
約400万円だった
それをしたことで、小さな自信が生まれた
仕事はあまり好きにはなれなかった
だけど、400万円貯められるくらいには、ちゃんと続けてきたのだなって思えた
少しだけ、自分の中に自信が生まれた
「何もない自分に、小さな1を足していく」
ホリエモンの言葉です。大好きな言葉です
これからは、こんなちっぽけな自信でも、ちゃんと拾い集めていこう決めた瞬間だった
物を減らして、足るを知る
最初は捨てたことで生まれた空白が辛かった
だけど
得たモノもあった
それは
水道水が飲める幸せ
明日、食べるものの心配をしなくて良いありがたさ
深く深呼吸ができる落ち着き
空が綺麗なこと
命があることの幸せ
あれがない、これもない
から
あれがある、これもある
に変わっていった
物や煩悩ばかりの時には気がつけなかったことに気が付くことが出来た
足るを知れた
それまではずっと悪かった体調も
少しずつ良くなっていった
浅かった睡眠も
眠るのが怖くなくなって、朝起きるのが楽しみになった
これから、手に入れていきたいモノ
あれは、まだ自分が小学生くらいの頃だったと思います
その日は、電車を使ってどこかに行っていたのですね
電車の中には、知的障害を持っているのであろう男性がいました
その男性は挙動不審で、何かに困っているようでした
誰も助けようとはせず
それを見て笑っている若いカップルもいました
私にはどうすることも出来ず、ただその光景を見ていると
サッと中年のサラリーマンらしき男性が近寄り
その障害をお持ちの方を手助けしていました
その高齢の男性のことは、いまだに忘れられずに、心に残っています
きっと、子供心にかっこいいなって思ったのです
私は現在、障がい者グループホームの立ち上げに邁進しています
その経緯は、以下の記事を読んでみたください
たくさん、要らない物を買ってしまったし
たくさん、みっともない煩悩に振り回されてきました
それも人生経験だと思うから、全部が無駄だとは言わないし
それらを捨てる過程で、自分は本当に満たされた人間なんだということにも気がつけました
足るを知れました
もう、不必要なモノは要らないなって思います
だから、これから手に入れるモノは
あの日に見た男性のような
心の格好良さを手に入れていきたい
そんな風に思うのです
「本当に大切なモノは、目に見えない」
サン=テグジュペリの「星の王子さま」に出てくる言葉です
あの日に見た、中年の男性の心は、まさしく目には見えないモノですね
これからは、目に見える物に執着せず
もちろん、煩悩にも執着せず
目に見えない大切なモノたちを、集めていきたいと思います